長野朝日放送『abnステーション』で不登校児童映画祭合宿の様子が放送されました!
不登校児童映画祭合宿から早2週間。
嬉しいお知らせが届きました。
不登校児童映画祭合宿の取材にきてくださった仁科記者(最初に出てくる右の眼鏡の男性)の取材が、2023年9月28日18:30頃、長野県内にて放送されました。
まず初めに、映画祭にご参加いただいた保護者の方。
遠方よりお越しいただきサポート頂いた方。
下條村の有志の皆様方。
本当にありがとうございました!!
プロジェクトが発足し、どうしようか?あーしようか?と言っていた時は、まさかこんなカタチになるなんて夢にも思っていなかったのが本音です。
なんでもやってみることが大事、やってみなければわからないことの方が多い世の中。
何度も打ち合わせを重ね、試行錯誤し、不安半分、ワクワク半分で開催した不登校児童映画祭合宿ですが、本当にやってよかった!と心から実感しています。
動画内にもありましたが、
「極端に言えば、映画を作らなくてもいい。」
「一番大事なのは、この3日間を一緒に過ごすこと。」
そして、群馬県から参加した小学6年生の岩田幸生くんが言った言葉。
「楽しんだもん勝ちだよ!今は、今はな。」
本当にこの言葉に尽きると思います。
また、滋賀県から参加した中学3年生の野原大生くん。
「最近、学校に行きはじめたけど…先生も生徒も”自分を殺してる”」と感じたそうです。
自分を殺して生きた結果どうなるのか?
結果として不登校となった子供と、不登校にはならなかったけど学校が嫌いだった子供。
そして、大人になってからひきこもりになるパターンもあります。
これは自身の体験ですが、学校生活は大丈夫だったけど、社会と学校生活の差についていけない。
社会という更に自分を殺さないといけない状況に耐えられない。
色々な年代が混じり合い関わり合う社会という人の目の多さに疲れる。
など、想像以上のプレッシャーや騒音に心が疲弊し布団から起き上がることさえできなくなってしまいます。
何度も転職を繰り返し、時には出社しようとすることで『吐き気・顔面蒼白・気怠さ』を感じることもあり、会社を休み公園でボーっと過ごすことも何度もありました。
それくらい、世の中は騒がしく感受性の高い人にとっては生きづらい世の中。
自分を殺すということは、時に命を奪う選択にもなり得る。
これが正常とされている学校や社会に大きな問題があると気付いて欲しいのです。
こういった世の中の常識、大人の当たり前、一般論で子供を縛り付けること、枠に嵌めることが子供を苦しめ、不登校という選択をさせてしまっていることに、そろそろ気付かなければいけないと思っています。
昔の常識は、今の常識ではない。
ITやネット、SNSの普及により時代の流れはどんどん早くなっています。
なぜか学校教育だけが”縄文時代”なようにも感じています。
『ご飯を作るなら火を起こしから!藁と木をこすり合わせて!』ではないのです、もうIHのように火がなくともご飯を作れるような時代に変化しているのです。
昔は良かったものを残すこと、伝えていくことも大切ですが、やはり時代にあったものや情報にアップデートしていく必要があります。
そのことを、不登校児童という存在が問題提起して気付かせてくれようとしていませんか?
学校へ行く?NO!!
このNOという主張を受け止めることから始めることが重要だと感じています。
『学校へいくのが当たり前だ!』
そんな当たり前は無くなろうとしています。
そもそも、学校へ行くのが当たり前だという法律は存在しません。
子供の義務教育を受ける権利とは!?
子供が義務教育を受ける権利を自由に使うことができるだけであり、大人は強制的に学校へ行かせることができるわけではありません。
私たち大人は、義務教育を受けることができる環境を整えること。
これが本来の義務教育のカタチです。
この意味を間違ってはいけないのです。
なので、学校へいこうが、不登校でも、フリースクールに行っても、それは子供の自由ということなのです。
学校だけがすべてではないということです。
この映画祭を通じて、不登校について考える人。
義務教育や子供との関わり方について考える人が増えたらいいなと思っています。
不登校は、不幸でも、悪でもありません。
今現代で希少な、温かく人間味あふれる少し繊細な子供というだけです。
いい意味で、時代に流されない。
流行りに乗らない自分の軸がある。
彼らの才能や個性を世の中に知ってもらうために、これからも活動を続けていきます。
不登校児童を自分の体験を通して、よくわかっている人の言葉だと思いました。そういう人こそ、不登校児童に寄り添える人であり、貴重な人だと思います。これからも不登校児童をよろしくお願いします。彼らは日本の宝です。彼ら無しでは日本の未来はありません!